すばらしい本に出会えた。表題にあるように授業に子どもたちの「対話」を重視する実践。後半だけを読めば単なるハウツーになってしまうが、前半の主張を読めば、全く読み方が変わってくる。昨今の状況を踏まえてどんな教室を作るか、そんな著者の思いが伝わってくる。教師側の「教えやすさ」にとらわれて、子どもたちの「学びやすさ」に目がいってなかったのではないかという著者の反省は、心に響く。「価値のインストラクション」そして、「対話」を重視するという指摘。自分にとって慧眼である。
言語活動の充実やそれを基盤とした活用力の育成が重視される昨今。一方、従来の指導方法から抜け出せない現場の実態。様々なことにチャレンジしてこられた石川先生ならではの、理論と実践。過去の多様な指導方法を、一つの理念の上に、分かりやすく整理してくださっている。まずは、理念を学び取りたい本である。
具体的な指導例は、その理念を裏付けるために、紹介してあると読みたい。一方、多様な手法が紹介してあり、原著も示してあるので、さらに学びたい場合はそのガイドに従い自ら求めれば、学ぶことができる。
先般、勤務校に、宮城教育大学の相澤先生においでいただき、授業とはなんぞやと示範授業で示していただいた。
(師範授業が一般的だと思うのだが、鳥取県のセンターでは、示範授業と表示しているので、それにならうことにする。あれ、変だなとも思うが。まあそれは別件で。)
職員にとってはかなり刺激的な内容であった。
静かに、話し手におへそを向いて話を聞き、手を挙げて当てられてから発表するという一斉授業の形態から、外れていたからである。この従来型の一斉授業は、確かに、価値がある。特に、これが成立しない学校にとっては、個の携帯が成立するように持っていくことが、大きな課題だからだ。本校においても、過去の職員の継続的な指導の積み上げによって、この様な学習規律が児童に定着し、非常に落ち着いて学習に取り組むことができるようになってきている。すばらしいことだと思い、先生方の取り組みに敬服する。
一方、相澤先生の授業では、(以下自分の解釈)、形式的な学習規律よりも実質的な、子どもたちの学びの交流を圧倒的に重視する。学習課題提示に端的にすぐ入り、とにかくたくさん文を読み、的確なタイミングで発問を繰り出す。自分の考えをひたすら書くことを求め、書いたことをしっかりと見取って児童の対話につなげていく。ペア学習は互いの学びに学び合うためのものであり、聞く間はペンを持って書くことを求める。おへそを向けて静かに聞いているなんて言う暇はないのである。これを、全体での交流にも要求する。全体での交流の際には、教師の見取りによって、意図的発言によって構成する。ここが教師の出番。励ましの言葉も多い。それがあって、子どもたちは、たくさんの気づきを友達から学びあうことができる。
この授業からたくさんのことを学ぶことができる。授業とは、何か。ということである。手法ではない。
それを手法だけにこだわると、全く違う物になってしまう。その辺りが、職員に理解してもらう際に難しかったのは、事実。
ディスカッションを経て、本校になりに取り組む方向は、見えてきた段階。
今回の、石川先生の著書からも、子どもたちが「対話」し、「互いに学び合う」ことを大事にしたいという思いと、その背景の理念が伝わってくる。
具体的な実践の中には、多くの宝物がある。
中でも、「合法的立ち歩き」と命名された物がある。今まででは、一面で見れば学級崩壊かと誤解される様な場面であるが、これをうまく学習活動として認知できるようにしておられる。ネーミングの妙である。ネーミングは、今日しっ側に対してだけでなく、生徒側への「価値のインストラクション」でもある。
「価値のインストラクション」は、表題にはないけど、きっと一番の主張点だと思う。大事にしたい。
ホワイトボードミーティングやジグソー学習などが具体的に取り上げられていたのも、とても参考になりうれしい限りだ。
必ず、これからの時代の実践に必要な内容だと確信する。具体的にどう普及させるかという観点で戦略を練るために、もう少し読み込んでみたいと思う。